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天正十年(1582)3月11日、織田、徳川連合軍に追い詰められた武田勝頼は、約50人の家臣とともに激戦の末、ここ甲州市田野の地で自害したとされている。 こうして武田家の歴史が幕を閉じた直後同年7月、徳川家康公入国の際、家康が勝頼の死を弔うため、家臣尾畑勘兵衛に命じて建立させたのがこの寺、天童山「景徳院」である。 境内には勝頼公、北条夫人、勝頼の嫡男信勝公が自害した生害石があり、甲将殿の裏には勝頼公をはじめ将士の墓がある。 この田野(通称天目山)の戦いにおいて、勝頼公一族に従容として自刃する時を与え、自らも27才にして自害して果てた「片手千人斬り」の武勇伝を持つ武将がいる。「土屋惣蔵昌恒」である。 たった四十余名という手勢で田野より先の天目山「栖雲寺」を目指した武田勝頼一族であったが、織田、徳川連合軍に行く手を阻まれ、大蔵沢より先に進むことができなくなり田野の郷に引き返す。この時、惣蔵は主君の危機を救わんと最も崖道の狭い所で岩角に身を隠し片手は藤蔓につかまり、片手には刀を持ち、迫りくる敵兵を次々に切っては谷川に蹴落したと伝えられる。次から次へと蹴落とされた屍の血を飲み込んだ谷川の水は、三日間もの間、血で赤く染まり、川はいつか誰が呼ぶともなく「三日血川」と呼ばれる。 「三日血川」(みっかちがわ)は、その後いつしか「三日川」(みっかがわ)となり、いまでは「日川」(にっかわ・ひかわ)と呼ばれている。 武田家とともにいくつもの伝説が眠る、天童山「景徳院」である。
by calbra
| 2007-01-19 15:55
| 甲州市
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